MacFusionでssh先のファイルをマウントしてみた。

さすがにsshで入った先のemacsとかを使うのは面倒なので、リモートのファイルをMacFusionを使ってマウントしようと試みる。(Mac OS X 10.5.7)

と、いうわけで早速MacFusionをインストール。

1.まずはGoogle MacFuse Coreをダウンロード&インストール。ガイダンスにそっていけば良いので簡単ですね。
http://code.google.com/p/macfuse/

2.その後、MacFusionをダウンロード&インストール。これも簡単。
http://www.macfusionapp.org/about.html

で、その後MacFudion立ち上げて意気揚々とホスト名やアカウント、パスフレーズを打ってMountボタンをポチッとな。





...


Cannot connect ほげほげ unexpectedly


...

あれー。
と思ってたら、ApllicationへDrag&Dropするの忘れてたみたいで。
そっちから起動したら無事に開通。

なんかさらに権限関係であるみたいですね。

パーミッションがsystem:adminでないとCurFTPfsやsshfsが/Volumesにファイルを正しく作ってくれないんだ。~Underconstruction by Taiyo~

とりあえず開通したので、これで手元のemacsで書ける。
なんて素敵。

時には昔の話を

先日、姉が文部科学省内々定をもらった。

思えば、去年の今頃だったか、姉は急に「文部科学省行きたい」と言い出してからは今まで学生生活の大半を費やしてきたオーケストラを一時休止して勉強を始めた。

当時僕は文部科学省になるにはどういうステップを踏めばいいのか、それがどれほど難しいのか全く分かっていなかったので、「まぁなんとかなるのでは」と適当な考えでいた。

詳しくは今でもよくわかっていないが、とりあえず国家公務員試験第一種(法律)の一次、二次試験を受け、さらに官庁訪問して面接を受けなければならないらしい。
ちなみに今年の国家公務員試験第一種(法律)の最終合格率は6%で、面接でさらに半分の3%に絞られるというなかなかに狭き門。

今考えれば全く法律の勉強をしてこなかった文学部の姉が目指すにはあまりにも無謀なような気もする。
実際、定期的に勉強の進捗状況を聞いていたわけではないが、(聞いてもわからないだろうけど)その逐一の報告を受けていた母親の話では、相当に大変だったらしい。
確かに、姉が今年の年始などには進むべきタスクの3分の1も終わってない、と悲壮な声をあげていたのを思い出す。

本番直前の模試でも2千人中下から十数番目というとんでもない成績をとったことを聞いた時にはさすがに不安になったものだった。


それでも、「なんとかするのではないか」という気はしていた。
今思えば途方もなく能天気な考えではあった。

少し昔の話

年子で生まれ、双子のように育てられた姉と僕は幼稚園から高校まで同じところへ通った。
姉は昔から多少不器用でも生真面目で、いらんことをする僕はそのたびに怒られたものだった。
たまにひどく下らないことで喧嘩もしたが、3日以上仲たがいをしたままという記憶はない。


姉も僕も体質的に塾は合わなかったので、中学、高校の頃は家で勉強。
少し勉強したらすぐに休憩をとる僕とは違い、姉はとりかかる腰は重くても、とりかかると驚異の集中力で勉強をしていた。


姉は高校3年のとき、志望大学の模試で2位をとり、さらに上を目指して3年の10月に志望大学を変更するという暴挙にでた。
今までの志望大学と全く試験の傾向が違う上、無勉の倫理をセンターまでに独学で仕上げなければならないというおまけ付き。

それでもなんとか形に仕上げたが、センター当日に体調を激しく崩し、
大きなビハインドを背負っての2次の挽回も3点届かず不合格になった。

僕も俄かには信じられなかったが、これには姉も相当にこたえていたようだった。


それからはさすがに予備校に通い、一年間浪人生活を送る。
その年は僕も受験生で、家は二人の受験生を抱えるという大惨事に陥った。
でも、こういうのもなんだが、姉がいてくれたおかげで、怠け癖のある僕もある程度緊張感を持って勉強に臨めたような気がする。
そして、思っていたよりかは平穏にその一年間は過ぎ、お互いセンター試験を無事に通過し、
2次試験は当日の朝にお互い喧嘩をするというハプニングに巻き込まれつつも、なんとか合格。
大学は違うが、同期の大学生となる。


姉は大学では高校に引き続きオーケストラをし、
意味不明なほど練習漬けの日々だったらしい。
加えて東京の電車の罠にはまり続け、母親にヘルプの電話をかけることもしばしば。

勉強以外のことに関しては、さすがに僕も不安になったものだったが、
それでもそれなりに、なんとか過ごしていたみたいだった。

今の話

この一年はなかなかに大変だったらしいが、
今年の5月末に一次を、そしてその2週間後に二次試験を無事に通過し、先日官庁訪問を終え、めでたく第一希望の文部科学省から内々定をもらった。

そこまで僕自身はシビアになっていたわけではなかったが、さすがにこのときには胸をなでおろした。


これで姉も来年の春からは社会人。
勉強以外は少し抜けている姉も、いよいよ社会人になる。

記憶のあるうちはずっと学生だった僕らにとって、新しいステージに、姉は先に足を踏み出す。


良く電車を乗り間違えたり、迷ったりするあの姉が社会に出ると思うと、若干不安ではあるが、
ここぞというときは不器用ながらもあの生真面目さでなんとか乗り越えていくのだろう。


とりあえず、今は無事に合格したことを祝いつつ、就職祝いの品でも探しに行くか。

周囲の豚インフルエンザ達。

結局これはマスコミの騒ぎ過ぎなのか、否か。
あんまし周りで感染している人は見受けないけども、一応世間的には大問題なのかね。
中には修学旅行当日に駅のホームで中止を告げられた中学校もあるらしい。


昨日カナートをうろうろしてても、休日にしては思いのほか少ない人出。
コムサは「本日15%OFF」というのもその影響かな。


現在京都府全大学47校のうち、京大以外は全て休校、登校停止の措置をとっているらしい。
京都大学は相変わらず独自の路線を走ってるなぁ。
まぁ、正直休校とかなっても授業取ってないからあんまし自分には関係ないのですが。
とりあえずどちらの判断もあんまし大事に繋がらないことを祈るのみです。


でもこの場合研究室とかはどうなんのかね。

しかし、http://www.kyoto-u.ac.jp/ja/news_data/h/h1/news5/2009/090521_3.htm
での、

発症してしまった人はちょっと辛いのですが、これで免疫を獲得して今後同じタイプのインフルエンザにはかかりにくくなることが期待できますし、公衆衛生的観点からは集団免疫の成立にも貢献することになります。

には大変笑わせていただきました。


まぁこんなこと言ってて結局罹ってもあほらしいので体調管理には十分気をつけたいと思います。

なんとなく結婚という単語は別世界のことと思っていた。

先日、友人の結婚式があった。


4月の中頃に急に携帯に連絡が来て、突然の結婚報告を受けて学食で食事中の僕は驚いて声を上げてしまった。

友人とは小学校と中学校をともに過ごし、小学生の頃は同じチームで日夜白球を追いかけた仲。
個人的に遊ぶことはほとんどなく、卒業してからも会ったのは成人式くらいだったけれど、なぜかそれほど疎遠になっている気もしなかった。
それでも、今回呼ばれたのは少し意外で、非常に嬉しかった。


会場は大阪の南、りんくうタウンであるとのことだったので、前日のうちに実家に帰ってきていた。当日は朝早くからスーツで身を包んで阪急、関空快速を経由でりんくうタウンへ。
一週間も前からこの日は雨という予報で、前日も降水確率90%の予報だったにもかかわらず、南に走る電車の中から見上げる空は不穏な雲が漂いつつも、不思議と雨は一滴も降らずに時折日差しさえ差し込む時もあった。


一人でぼーっと外を見ながら、ipodから流れてくる「3月9日」が妙にしっくりきて、初めての結婚式への緊張も合わせて、何か気怠く温い湯につかっているような気分になった。


式場は所謂チャペルというところで、なにもかも初めての僕には非常に新鮮な場所だった。式場に着くと既に中学時代の友人が何人も集まっており、成人式以来の再会にテンションが上がった。相変わらず見た目はスーパーサイヤ人みたいな人もいたけれど、話を聞いてみると皆それぞれの場所でそれぞれの仕事をしているらしい。なんとなく、中学を卒業してから6年以上経ったことを今更ながらに実感した。


式では新郎である友人は緊張しっぱなしで、後ろ姿から肩が上がっているのが見て取れた。ちょっと笑った。新婦の方も非常に綺麗な人で、お互い少し恥ずかしそうな姿は見ていて非常に微笑ましくて、見ているこちらまで少し恥ずかしくなった。ベタなドラマみたいに途中で乱入してくる人もいなくて、無事に式は終わり、一同は外に出ていよいよブーケトス。取り合うのかと思っていたけど、意外とすんなり決まったみたいだった。でもなんとなく取った人が強そうだったのは気のせいのはず。


披露宴では友人や奥さんの今までの軌跡やら、なんやらを紹介し、もちろんお約束の上司のお言葉。
噂に違わぬ空気読めなさを垣間見せながらも、宴はゆるゆると続いていく。
柔らかいステーキに舌鼓をうちながら、少年野球時代にお世話になった友人の父親や母親に挨拶をしたり、中学時代の友人と昔話に花を咲かせたり。

中学、高校、そして大学へと進むたびに、様々な新しい友人と出会えて、日常も人間関係もどんどん変化して、昔のことは色あせたように思うけれど、振り返ってみたらそれは意外なほどに鮮明。
当たり前だけど、僕はこの友人達と6年前まで一緒に学校に通ってたんだよな。



宴も終わりに近づき、ウェディングケーキの幸せのお裾分けをもらって、最後は写真や映像を交えたエンドロールが流れる。
エンドロールが流れていくなかで、なんとなく、ぼーっと自分自身の人生も一緒に振り返ってみたりして。
自分と同じ学年だった友人が結婚をした。
また数年後にも別の友人が結婚するだろうし、恐らくいつか自分もするだろう。するのかな。
もし、するとしたら、その時の自分は、いったいどういう気分なんだろう、というとりとめのないことも考えたりした。
今まで実感はなかったけれど、今回でそれは当たり前に起こりうる現実なんだということを再認識した。



披露宴も終わり、外に出るとさっきまで晴れていた空は雨を垂らしていて、ギリギリもってくれてありがとう、とか思ったりして。
二次会には参加しなかったけれど、人生で初めての結婚式はとても貴重な経験だった。
幸せを祝いにいったら、お裾分けされてしまった。


どうか、二人がこれからも幸せでありますように。

週末

特にイベントもない普通に忙しい1週間を終えた週末。
いつもはもう寝てる時間まで友人と飲みながらPCに向かう。

規則正しい生活は大切。
早寝早起き。

それはわかってるけれど、それだけじゃないこともあるのかもしれない。

何か脅迫されるように生産性のあることをするようになっていたけれど、
体力的にも精神的にもoffの日を作ることはやっぱり同じくらい大切。

やるべきことはたくさんあって、以前一回書き出してみると鼻血出そうなくらい多くて焦った。

まぁ、一つ一つ片付けていくしかないんだろうけども。

とりあえずは今週頑張った自分をねぎらってあげましょう。

雨のち晴れ

ゴールデンウィーク

最近実家に帰る時は天気が悪くて、今回も例に漏れずぐずついた天気で、太陽光で動く僕としてはどうにも体に力が入りませんでした。

ゴールデンウィーク中に母親の誕生日ということもあり、姉も東京から帰ってきてました。某難関試験を受けているみたいで本人曰く「人生で一番勉強してる」というほどの勉強量。漂う空気は相変わらずどこか抜けていたけれど、勉強している時の集中力も相変わらずすごいものがありました。

とりあえず一次試験はなかなかの好成績で通ったみたいで、今からは二次試験にむけてさらなる猛勉強を始めるとのこと。
最近までオーケストラもしてたのに、頭が下がります。


僕は実家では相変わらずバッテリーが切れたようにのらりくらりと論文や輪講の資料やウェブの雑誌やらを読んで過ごしていました。
まぁ怒濤の4月のことを考えると、実家でこれだけ休めたのはとても助かりました。

母親の誕生日も祝えて、別にどこに行くわけでも無かったけれどなんとなく満足するゴールデンウィークを過ごせました。

ゴールデンウィーク明け

実家でしっかり休めたこともあって体力回復!と思っていたけれど天気はそうもいかずにしかめつらの空模様。という言い訳をぶらさげつつ瞼がどうにも開かない日を過ごしてしまいました。
一応やる気だけはあったのだ、ということは本当です。

それでも「そういう日々もありか」という妥協の気持ちは起きずに、良い意味で脅迫され続けています。
それは今日にも適用され、飲み会の次の日の早朝に起床できました。
明日も研究室に行こうかな。

雨のち晴れ


今日は嘘のように明るい空で気温もぐっとあがって、一気に夏模様。

今まで雨だったから、より一層そのありがたみが身にしみました。

晴れ続きでも面白くないですが、雨が降ってもそれを晴らそうとあがくのもまた一興ですね。