時には昔の話を

先日、姉が文部科学省内々定をもらった。

思えば、去年の今頃だったか、姉は急に「文部科学省行きたい」と言い出してからは今まで学生生活の大半を費やしてきたオーケストラを一時休止して勉強を始めた。

当時僕は文部科学省になるにはどういうステップを踏めばいいのか、それがどれほど難しいのか全く分かっていなかったので、「まぁなんとかなるのでは」と適当な考えでいた。

詳しくは今でもよくわかっていないが、とりあえず国家公務員試験第一種(法律)の一次、二次試験を受け、さらに官庁訪問して面接を受けなければならないらしい。
ちなみに今年の国家公務員試験第一種(法律)の最終合格率は6%で、面接でさらに半分の3%に絞られるというなかなかに狭き門。

今考えれば全く法律の勉強をしてこなかった文学部の姉が目指すにはあまりにも無謀なような気もする。
実際、定期的に勉強の進捗状況を聞いていたわけではないが、(聞いてもわからないだろうけど)その逐一の報告を受けていた母親の話では、相当に大変だったらしい。
確かに、姉が今年の年始などには進むべきタスクの3分の1も終わってない、と悲壮な声をあげていたのを思い出す。

本番直前の模試でも2千人中下から十数番目というとんでもない成績をとったことを聞いた時にはさすがに不安になったものだった。


それでも、「なんとかするのではないか」という気はしていた。
今思えば途方もなく能天気な考えではあった。

少し昔の話

年子で生まれ、双子のように育てられた姉と僕は幼稚園から高校まで同じところへ通った。
姉は昔から多少不器用でも生真面目で、いらんことをする僕はそのたびに怒られたものだった。
たまにひどく下らないことで喧嘩もしたが、3日以上仲たがいをしたままという記憶はない。


姉も僕も体質的に塾は合わなかったので、中学、高校の頃は家で勉強。
少し勉強したらすぐに休憩をとる僕とは違い、姉はとりかかる腰は重くても、とりかかると驚異の集中力で勉強をしていた。


姉は高校3年のとき、志望大学の模試で2位をとり、さらに上を目指して3年の10月に志望大学を変更するという暴挙にでた。
今までの志望大学と全く試験の傾向が違う上、無勉の倫理をセンターまでに独学で仕上げなければならないというおまけ付き。

それでもなんとか形に仕上げたが、センター当日に体調を激しく崩し、
大きなビハインドを背負っての2次の挽回も3点届かず不合格になった。

僕も俄かには信じられなかったが、これには姉も相当にこたえていたようだった。


それからはさすがに予備校に通い、一年間浪人生活を送る。
その年は僕も受験生で、家は二人の受験生を抱えるという大惨事に陥った。
でも、こういうのもなんだが、姉がいてくれたおかげで、怠け癖のある僕もある程度緊張感を持って勉強に臨めたような気がする。
そして、思っていたよりかは平穏にその一年間は過ぎ、お互いセンター試験を無事に通過し、
2次試験は当日の朝にお互い喧嘩をするというハプニングに巻き込まれつつも、なんとか合格。
大学は違うが、同期の大学生となる。


姉は大学では高校に引き続きオーケストラをし、
意味不明なほど練習漬けの日々だったらしい。
加えて東京の電車の罠にはまり続け、母親にヘルプの電話をかけることもしばしば。

勉強以外のことに関しては、さすがに僕も不安になったものだったが、
それでもそれなりに、なんとか過ごしていたみたいだった。

今の話

この一年はなかなかに大変だったらしいが、
今年の5月末に一次を、そしてその2週間後に二次試験を無事に通過し、先日官庁訪問を終え、めでたく第一希望の文部科学省から内々定をもらった。

そこまで僕自身はシビアになっていたわけではなかったが、さすがにこのときには胸をなでおろした。


これで姉も来年の春からは社会人。
勉強以外は少し抜けている姉も、いよいよ社会人になる。

記憶のあるうちはずっと学生だった僕らにとって、新しいステージに、姉は先に足を踏み出す。


良く電車を乗り間違えたり、迷ったりするあの姉が社会に出ると思うと、若干不安ではあるが、
ここぞというときは不器用ながらもあの生真面目さでなんとか乗り越えていくのだろう。


とりあえず、今は無事に合格したことを祝いつつ、就職祝いの品でも探しに行くか。